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声なき森と父母の行方 ②

last update Dernière mise à jour: 2025-04-02 15:45:13
 朝霧が地面を覆い、足元の苔が湿って柔らかい感触を返す。靴が石を踏むたびに、かすかな水音が響き、霧が膝下を這うように漂った。道の両側には畑が広がり、その向こうに森の輪郭が霧にぼやけている。

 風が冷たく吹き抜ける中、リノアはシオンの形見である木彫りの笛を手に持ち、指先に力を込めた。笛の表面に刻まれた細かな模様がリノアの肌に冷たく食い込む。

 あの時の村の若者たちの悲痛な声。それがリノアの耳に残響のように残っている。確かに森が弱ってしまったら、私たちは、もうこの地で生きて行くことはできないだろう。

「クラウディアさん、本当は何か知っているんじゃないかな……」

 リノアの息が白く霧に溶け、木々の間に漂う。

 リノアの脳裏に浮かぶのは、クラウディアが去っていく姿だった。杖の先端が地面に触れる音が辺りに響き、霧の中へ消えていく後ろ姿。鋭い瞳には、どこか深い思案の影が宿っていた。それが妙に心に引っかかる。

「あの言い伝えにある『災い』というのが気になるよね」

 エレナが薬草の袋を肩にかけ直し、霧の中を見据えて言った。霧が森の奥へと広がっている。その深みへ吸い込まれるようにエレナの視線が固定された。

 エレナは腰に弓を携え、背中には矢筒をしっかりと括り付けている。エレナの弓術は村でも一目置かれており、危険な状況や狩りの場で何度もその腕前を証明してきた。それはエレナの自信と冷静さを支える柱でもあった。

 エレナは肩の薬草袋を背中に押し上げると、霧の向こうに向かって歩を進めた。エレナも森の奥に潜む何かへの警戒心が徐々に膨らんでいるようだ。

 災いか……。

 リノアはその言葉を聞いて胸の奥がざわめくのを感じた。

 もし災いが起きたというのなら、シオンがその犠牲者だということなのだろうか? そんなはずはない。シオンは森を愛し、守り続けてきた存在だ。シオンが自然の怒りを買うはずがない。

 霧に包まれた小道の両側にはぽつりぽつりと家が建っている。その静かな佇まいは日々の営みの平穏さを物語ったものだ。

 この付近の人たちが騒いでいるところを見たことはない。ということは、問題が起きている場所は森の奥深くというのは合っている。まだ危機は村には迫ってはいない。

「問題が起きているのは森の奥深い場所。まだ村そのものに危機が迫っているわけではないみたい。だけど時間は限られているんじゃないかな」

 リノ
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     朝霧が地面を覆い、足元の苔が湿って柔らかい感触を返す。靴が石を踏むたびに、かすかな水音が響き、霧が膝下を這うように漂った。道の両側には畑が広がり、その向こうに森の輪郭が霧にぼやけている。 風が冷たく吹き抜ける中、リノアはシオンの形見である木彫りの笛を手に持ち、指先に力を込めた。笛の表面に刻まれた細かな模様がリノアの肌に冷たく食い込む。 あの時の村の若者たちの悲痛な声。それがリノアの耳に残響のように残っている。確かに森が弱ってしまったら、私たちは、もうこの地で生きて行くことはできないだろう。「クラウディアさん、本当は何か知っているんじゃないかな……」 リノアの息が白く霧に溶け、木々の間に漂う。 リノアの脳裏に浮かぶのは、クラウディアが去っていく姿だった。杖の先端が地面に触れる音が辺りに響き、霧の中へ消えていく後ろ姿。鋭い瞳には、どこか深い思案の影が宿っていた。それが妙に心に引っかかる。「あの言い伝えにある『災い』というのが気になるよね」 エレナが薬草の袋を肩にかけ直し、霧の中を見据えて言った。霧が森の奥へと広がっている。その深みへ吸い込まれるようにエレナの視線が固定された。 エレナは腰に弓を携え、背中には矢筒をしっかりと括り付けている。エレナの弓術は村でも一目置かれており、危険な状況や狩りの場で何度もその腕前を証明してきた。それはエレナの自信と冷静さを支える柱でもあった。 エレナは肩の薬草袋を背中に押し上げると、霧の向こうに向かって歩を進めた。エレナも森の奥に潜む何かへの警戒心が徐々に膨らんでいるようだ。 災いか……。 リノアはその言葉を聞いて胸の奥がざわめくのを感じた。 もし災いが起きたというのなら、シオンがその犠牲者だということなのだろうか? そんなはずはない。シオンは森を愛し、守り続けてきた存在だ。シオンが自然の怒りを買うはずがない。 霧に包まれた小道の両側にはぽつりぽつりと家が建っている。その静かな佇まいは日々の営みの平穏さを物語ったものだ。 この付近の人たちが騒いでいるところを見たことはない。ということは、問題が起きている場所は森の奥深くというのは合っている。まだ危機は村には迫ってはいない。「問題が起きているのは森の奥深い場所。まだ村そのものに危機が迫っているわけではないみたい。だけど時間は限られているんじゃないかな」 リノ

  • 水鏡の星詠   声なき森と父母の行方 ①

     リノアとエレナは広場を離れ、森の北の小径へと続く道を歩き始めた。まず向かう場所はシオンの研究所だ。 シオンは村にとって有用な研究を行っていた。村の歴史や伝統だけではなく、自然と科学を融合したものまで多岐に亘る。シオンは多才な人だった。 シオンが残した足跡は、この村だけでなく森そのものにも深く刻まれている。村に生息する動植物の生態系についての深い知識を持ち、その鋭い観察力と独自の視点から新たな発見を生み出していた。特に苔や菌糸に対するシオンの造詣は驚嘆すべきものがあった。 苔が水を蓄える仕組みや菌糸が森を豊かにする役割について、シオンが語る様子をリノアはよく思い出していた。シオンはただ知識をひけらかすのではなく、森や自然の美しさ、そして、それらがいかにして命を繋いでいるかを人々に教え、分かち合っていた。「森の声に耳を澄ませるんだ」 シオンは子どもたちや若者たちにそう言って微笑んでいた。その教えはリノアの心の中にも深く根付いている。そして今、シオンがいない村でシオンの言葉がどれほど重みを持つか、リノアは改めて感じていた。 リノアは霧の中を見つめ、胸に抱える思いを整理しようと試みた。 シオンが森の異変に気付いていたことは、シオンの記録や話の端々からも明らかだ。そのシオンが抱いていた憂いと覚悟……。 森が何かを伝えようとしている——その確信がシオンにはあった。しかしシオンが森の異変に対してどのようなアプローチを試みていたのか、その全容はまだ明らかにされていない。 現在、シオンの研究ノートに目を通したのはエレナだけだ。しかしエレナはまだそのノートについて詳しくリノアに語ったことはない。ノートに記された難解な数式や図形、断片的な文章——それらが森の異変とどう関係しているのか、エレナ自身も完全には把握しきれていないからではないかと思う。 リノア自身もシオンの研究ノートに記された内容について、特に関心を示すことはなかった。森は特別な領域であり、リノアにはそれがどこか神聖なもののように感じられていたからだ。 シオンの声がもう聞けないという現実の中、彼が愛し、守り続けた森がリノアにとって次第に特別な意味を持つようになった。静寂に包まれた森の存在は、シオンの思いを受け継ぐべき場所としてリノアの胸に深く刻まれていく。 シオンの研究は一体、どこまで進んでいたのだろう

  • 水鏡の星詠   精霊の舞、継ぐ者たち ⑤

     リノアの眉がかすかに動く。クラウディアはゆっくりと頷いた。「ああ、だがその意味を完全に解き明かした者はいない。ただ、私が幼かった頃、一度だけ森が弱ったことがあった。その時、人々は村を護るため儀式を行い、結果的に森は持ち直した。しかし……今回の異変はあの時とは何かが違う。より深い、より根源的な力が関わっているような気がしてならない」 クラウディアの言葉は広場の静寂の中に染み渡り、リノアとエレナの背筋を冷たいものが這うように震わせた。「根源的な力?」 リノアの問いかけに、クラウディアの表情が一瞬だけ険しくなった。彼女は低く静かな声で応えた。「そうだ。生命力を凌駕した、もっと古く深い力……」 クラウディアの視線が遠くの森へと向けられる。その瞳には、一種の畏敬と懸念が混ざり合っていた。「森が泣く──その時、私たちは選ばなければならない。自然と調和する道を進むのか、それとも破壊の道を辿るのか」 クラウディアの言葉に込められた重みが、リノアとエレナの胸に深く響いた。「つまり、その『根源的な力』が異変の原因かもしれないということですか?」 エレナが小さく息をつき、慎重に口を開く。「恐らくな」 クラウディアは一瞬黙った後、ゆっくりと頷いた。「私たちはそれを見つけます。森の声を聞き、その答えを必ず探し出してみせます」 そう言って、リノアはエレナと目を合わせた。「シオンの死がその始まりなら、お前たちが見つけるしかない。シオンと関係の深い、お前たちなら、きっと遣り遂げることができるだろう。リノア、エレナ、私はお前たちの勇気を信じている」 クラウディアは微笑みながら二人の決意を受け止めるように言葉を返すと、静かにその場を後にした。クラウディアの背中が霧に溶け、広場の静寂と共に消えていく。 森の奥から風が吹き抜け、冷たい空気が二人の頬を撫でて行った。まるで森そのものがリノアとエレナの決意を確かめるように。「根源的なものって何だろう……」 リノアがふと呟いた。その言葉は空気に溶けるように静かだった。「森の奥に行ってみようか。シオンの研究所に行けば何か手がかりが見つかるかもしれない」 エレナは広場の端に目を移した。 今まで森の奥深くに足を踏み入れることは殆どなかった。森の植物は十分に育っており、森の奥まで入り込む必要はなかったからだ。森の奥に行く人と

  • 水鏡の星詠   精霊の舞、継ぐ者たち ④

     村人たちとの遣り取りを遠くから眺めていたクラウディアがリノアとエレナの前に歩み寄り、若者たちに向けて口を開いた。「よしなさい。二人を責めて何の意味がある。儀式は終わったんだ。もう帰りなさい」 言葉は穏やかだが、その言葉には威厳が含まれている。反論できる者などいるはずはない。村人たちは一礼して、その場を去った。 広場に漂っていた重苦しい空気が徐々に解けていく。夜風が頬を撫で、静けさが戻った。「リノア、エレナ。みんな不安で仕方がないんだよ。許してやっておくれ」 クラウディアはリノアとエレナに向き直り、優しい笑みを浮かべた。 クラウディアの言葉にリノアは胸に抱えた緊張が少し和らぐのを感じた。「私たち、『龍の涙』の謎を探ろうと考えています」 リノアはクラウディアの目を真っ直ぐに見据えながら言葉を放った。 クラウディアの鋭い瞳がリノアを捉えた。その瞳には何かを測るような光が宿っている。短い沈黙の後、クラウディアは静かに口を開いた。「覚悟はあるのかい?『龍の涙』には、ただの力ではないものが宿るとされる。命を懸けることになるかもしれないよ」 リノアとエレナは互いに目を合わせ、力強く頷いた。「森が弱ってる。私、感じるの。何か悪いことが起きようとしてるって」 リノアの言葉を聞いたクラウディアは静かに目を閉じ、長く思案するように黙り込んだ。その後、彼女はゆっくりと目を開け、視線を祭壇へと移した。「森の異変には気づいている。ここ最近、長老たちの間でも議論が絶えなかった……。だが、お前たちがその謎に迫る意思があるならば、私は止めるつもりはない。ただし、その先にある真実が優しいものとは限らないことを決して忘れるんじゃないよ」 長老たち……。長老は各、村に一人しか存在しない。ということは他の村にも異変が起きているということだ。「クラウディアさん、何か知っているのですか? 昔の話でも良いから教えて頂けませんか」 リノアはクラウディアを真っすぐに見据えて言った。 クラウディアは一瞬、黙った後、低く落ち着いた声で語り始めた。「古い言い伝えにはこうある。『森が鳴く時、世界の均衡が揺らぐ』と」「森が……鳴く?」

  • 水鏡の星詠   精霊の舞、継ぐ者たち ③

    「儀式は終わったけど、みんな落ち着かないね」 エレナがリノアの肩に触れて言った。「エレナ……。皆の気持ち、私にも分かる気がする。私も何だか元気になれなくて。皆に安心してもらう為には、私がもっとしっかりしてなきゃいけないのに」 リノアの声には、焦りの感情が滲んでいる。「リノア。まだ始まったばかりよ。リノアが前を向いているところを皆はちゃんと見ているから、村の皆も力を貸してくれるはずよ」 そう言ってエレナは優しく微笑んで、リノアの肩に触れた手に少し力を込めた。「ありがとう、エレナ」 リノアの笑顔を見て、エレナが頷いて応えた。 心の中には、まだ迷いが残っている。しかしエレナの言葉に少し救われた気がした。一人で背負い込む必要はない。 リノアは心を落ち着かせようと思い、大きく息を吸って視線を広場から夜空へと向けた。 瞬く星々の光がシオンとの思い出を呼び起こす。 シオンならきっと、こうやって村全体が一つになれる方法を模索したはずだ。リノアはシオンの背中を思い出しながら、夜空を見つめ続けた。──このままじゃ収拾がつかなくなる。私たちで何か始めないと。 視線を落とし、思いつめた顔をして地面を見つめていると、突然、大きな声が広場に響き渡った。「祈ったって何も変わらねえよ。川の水が減っていたのを見ただろ!」 声の主はヴィクターだ。彼の勢いある言葉に子供たちの足が止まり、母親たちは不安な顔で若者たちを見つめた。広場に緊張が走る。「シオンが死んでから何か様子が変なんだよ。おい。リノア、エレナ、お前ら何か知っているんじゃないのか」 ヴィクターの鋭い視線がリノアを捉える。その声には、不安、疑念、そして怒りが入り混じっている。 何か話さなければならない。そう思えば思うほど、言葉は喉の奥に引っ掛かって出てこない。ヴィクターの威圧的な態度に、リノアはその場に立ち尽くした。 シオンの死と森の異変が、ここまで皆を追い詰めているなんて……。 張り詰めた雰囲気の中、エレナが一歩前に出た。「落ち着いて。何ができるのか、私たちも考えているところなの」 エレナの穏やかで落ち着いた声が、緊迫した空気の流れを変えていく。 村人たちの視線がエレナに移る。 エレナに続いて、リノアも一歩前に出た。「私たち、森を守りたいと思ってる。だけど、まだ原因が分からないの」 リノア

  • 水鏡の星詠   精霊の舞、継ぐ者たち ②

     リノアとエレナの衣装の美しさは他の村人と比べて際立っている。ドレスは精霊の祝祭を象徴する金色と赤色で彩られ、裾には様々な精霊を模した刺繍が施されている。髪は金色のリボンで束ねられ、花冠のように小さな花々が飾られていた。 今日は彼女たちが祭りの象徴なのだ。 広場のあちこちにテーブルが並べられ、村の味を伝える料理が山盛りになっている。パンの香ばしい匂いや果実の甘い香りが漂う中、果実酒の瓶が次々と開けられ、グラスが楽しげに揺れる。村人たちは料理を囲みながら冗談を言い合い、そして大きな声で笑い、時には昔話に花を咲かせた。 その中を元気いっぱいに駆け回る子どもたち。一息つく間もなく食べ物を手に取って口に頬張っては、満面の笑みを浮かべている。はしゃぎすぎた子どもが転んでも、すぐに立ち上がって走り回るその姿は微笑ましくもある。 笛の音色や太鼓のリズムに合わせて村人たちが身体を動かす。踊るだけではなく歌い出す者も現れ、広場の熱気がさらに高まった。 夜空の下、揺れる灯りが照らし出すのは、満ち足りた笑顔と一体感に包まれた村の光景だった。 広場の片隅で、リノアは村人たちの動きをじっと見つめた。皆、笑顔を浮かべている。しかし、その表情にはどこか張り詰めたものがあると感じた。明るく振る舞ってはいるが、誰もが心のどこかでシオンの死を引きずっているのだ。悲しみを抱えながらも明るく振る舞うその姿は健気でありながらもどこか痛くもある。 これではシオンも心の底から喜ぶことはできないだろう。「シオンの奴、祭りに参加できなくて残念に思ってるだろうな。どうして突然、死んでしまったのかね」 年配の男性、マティアスが果実酒を飲みながら、近くの友人に言った。「本当にな。でも、あれほどまでに祭りを望んでいたんだ。シオンの分も楽しまなきゃ」 友人が答えた。 シオンの親友で村のパン屋を営むマルコは、祭りのテーブルに村一番のパンを並べていた。彼も笑顔で人々にパンを配りながらも、心のどこかでシオンの不在を感じているようだった。 若者たちのグループでは、アリシアが陽気に一人で踊っていた。アリシアは私の幼い頃からの親友だ。「アリシア、その踊り、素敵だね。シオンが見ていたら喜んでたと思うよ」 友人の一人が言った。「ありがとう。シオンがいなくなって寂しいけど、悲しむ姿を見せたくないの。前を向いて

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